不定形ゲーム 道楽ブログ

ゲーム中心でいろいろ好き勝手に(ゲームと関係ないこともたくさん書くということ)

都市化へ進む 年代隔絶

1年近く前の下書きに少し付け足して完成させます.

もう少し前になってしまいましたが, 保育園騒音問題ってのがありましたよね.
この前あった友人は, 現在学校関係の仕事をしており, 未だにそうゆうことを言う年配の方も普通にいるそうです.
その事から広げて少し話します.

最近生物学を少し齧ってまして, その視点から少子高齢化を考えるという記事をいくつか読みました.
その時にこの問題が取り上げられていました.

その記事に書いてあったことは, 高齢者を保護する内容でしたね.
その人も保育園の近くに住んだことがあるらしく, 音環境がとても人の住めるようなものでは無いと感じ, 3カ月程で我慢できなくなって退居したとのこと.
だから高齢者を責めるのは間違っていると.
しかもその住宅を購入した時には保育園なんてない閑静な場所であったと.
保育園の建設も半ば強引に進められたと.
高齢者はかなり社会的批判を受けてましたが, これは実体験の重要さを象徴するような事例ですね.
その方は対策として, 防音をしっかりした建築を設計するべきであり, 共存できるような環境を目指すべきであるとしていました.

方向性に関しては概ね同意しますが, 防音してお互いを閉じた環境にしておいて, 果たしてそれは共存と呼べるのでしょうか?

これって経済学の用語でいうところの外部性の問題ですよね.
ただ, 工場の排気ガスと違って, 人間社会や地域コミュニティに子供がいてなおかつ子供がうるさいってのはごく自然な事じゃないですか?
これけっこう現代社会のやばさを一部切り取って反映した問題だと思うんですよ.
だからそこのもう少し深く隠れている部分を照らしていきたいです.

ある場所に工場を立てるか立てないかの選択をする時に, 外部性を考える必要があります.
法律的にどうかは知りませんが, もし法律的にokだとしても, 後々必ず問題になってきます.
どういうことかというと, 近くにパン屋とか飲食店があった場合, 排気ガスの悪臭が店内に漂うのはかなり致命的であり, 利益に大打撃であります.
あとは川などに汚染物質を流して川が汚れた結果, 単純に地域が汚れる, 川の水を利用できなくなるとか.

この工場と保育園の決定的な違いは, 騒音とされる音の音源が子供であるということです.
子供ってのは人間の生活があれば必ず存在するものであり, もしいなければそれは非常事態です.

自己複製は生命の本分でありますから, 普通特に年寄りは子供を大切にしようと思うはずです.
それが子供の声を機械音と同じように騒音として分類してしまう.
ここが現代社会のやばさを暗示しているように思います.
これは保育園に対して苦情を呈した高齢者に対する批判ではなく, そのように感じてしまう社会に対する批判です.

これの根っこはどこにあるのでしょうか.
イカの2つの点から論じてみます.
①近代の理想像
②契約社会

①今高齢者と言われる人達って, 働けば働いた分だけ儲かる人達だった思います.
男性は一生懸命働いて, 家買って車買って, 老後はゆっくりみたいな. 女性は結婚するとか.
ここに幸せがあると社会的に言われていた時代.
精神的な問題はさておき, 物理的にこれが機能しなくなっていますし, どんどんひどくなっていきますよね.

少子高齢化により, 年金だったり社会福祉サービスだったりが立ち行かなくなっています.
社会福祉のほうは計算機で埋め合わせられる可能性がありますが, 年金のほうは抜本的に改革をしなければなりません. 一様に年齢引き上げるとかそんな単純な施策でどうにかなるものじゃないと思います.
高齢者からすれば, 話が違うじゃないかみたいな.

老後はゆっくりしたいのに, 保育園建つとか聞いてないみたいな.
近代の生き方にはそこまで組み込まれていなかったので, そこから来る怒りもあるのではないかと思いました.

②こっちが本稿のメインです.
コミュニティに子供がいるのが普通ってのは, 一昔前の村社会での話です.
近くに住んでいても全く関わらないことさえある契約社会の都市とは全く異なります.
その地域の子供の面倒はその地域の大人全体が見るってのが普通でした.
村社会なら普通にお互い顔も知ってて, 関わりがあることも多かったのではないでしょうか.

これが国家を造るってなって法律でもって統制するってなって法治国家になりました.
村社会にはそれぞれ独自の掟があったと思いますが, 契約社会になってそれはかなり薄まりました.
口約束から紙面での約束に.
これって要は他人を信頼することができないから, 何かで担保しておかなければならないって発想ですよね.
法律にも契約に違反した際の罰則なんかが記述されていくわけです.
以前あった人と人の繋がりは疎遠になります.
地域のコミュニティなんかも現われてきづらい.
そうなると子供と高齢者の距離はどんどん開いていきます.
要は他人でしかないからです.



これらを解決するためには, 子供と高齢者が触れ合える場を創出するべきです.
本来高齢者は子供からたくさんの元気をもらえるはずです.
孫が可愛いみたいな感情は, 地域コミュニティがしっかりしていれば, 当たり前のように出てくるものだと思います.
近代の理想像でもそうなんですが, 最近は自分が幸せになるためにどうするか?のような, 自分本位の考えが目立つ気がします.
本当は全て繋がっているので, 社会に提示された一様な幸せではなく, それぞれがそれぞれの幸せを探究してほしいと思います.
一方, 子供は長い年月を生きている人達がどんなものか肌で感じることができます.
双方にとって利益のあることです.

高齢者の意識を変えていく必要もありますが, どうしても子供が無理という方がいれば, そういう人たちには防音施設を利用するしかないでしょう.

なんとか2つの離れた世代が調和することで, 明るい未来が開けてほしいと思っています.



(後書き?)
村社会という言葉を調べると, どうも自分が意図しているものとは違うような気がします.
いい言葉知ってる方教えてください.