不定形ゲーム 道楽ブログ

ゲーム中心でいろいろ好き勝手に(ゲームと関係ないこともたくさん書くということ)

Animation - le Roi et l'Oiseau 「王と鳥」

どうも. 夜が寝苦しくなってきましたね.



本題に入る前に, 現在の記事の投稿予定に関してお伝えします.

実は少し前から都市化や社会性に関する記事を書きたくてふたつストックがあるのですが, 自分の知識が余りにも足らず書ききれておりません.
図書館に行っていろいろ調べながらやらなければならないので, もう少し後になるかと思います.
本当はそちらを投稿してから, それと少し絡めつつこの記事を投稿したかったのですが, 仕方がないので順序を逆にすることとします.
些か心苦しいですがw

それと, 最近は三島由紀夫という人物について調べており, 人生で初めて政治に関心を持ちました.
政治と言っても現行憲法の話なのですが, まあかなりの衝撃でして.
そちらも図書館に行って, 大日本帝国憲法のことなども調べた上で, ある程度自分の意見を固めてから記事を作っていきたいと思っています.

正直ここ数日は, 実は日本はかなりやばいんじゃないのか?という意識がすごく芽生えてきていて, 本当にがんばらなければいかんなぁという気持ちがあるんですよ.
自分は別に日本だからどう, とかそういったタイプではありませんが, 単純にひとつの国を良くすることが全体を良くすることに繋がると思うので.
要は変な方向に行ってほしくないんですよ.
まだ考えがまとまってないので, 何言ってるかわかりませんねww





はい, 前置きが長くなってしまいましたが, 本題に入っていきましょうか.

三島由紀夫の前は宮崎駿について調べていまして, まあそうゆうことです.

表題の「王と鳥」は, 宮崎駿が最も影響されたアニメのひとつであると言っていたので, 興味を持ち観ました.
それの感想とアニメについて話します.
そんなに深い話はできませんが.


まあまずアニメがAnimationから来ていることは明白ですよね. 輸入語です.
Anim というのは生命を表す言葉だそうで, 非常に良い言葉であるなぁと思います.
要は生命を形づくるもの, ということですね.

8月ぐらいに自分でもアニメを作ってみるつもりですが, どうやってウソをついてリアルを表現するか, というのが技術になってきます.

このウソをつけるというのがアニメの長所であると思っていて, つまり現実をそのまま描写しても仕方がないので, unrealを上手く取り入れて生命を表現したり, より抽象的な物事をより直接的に表現できるようになると考えています.
これが醍醐味なのではないかと.



王と鳥が制作された当時の世界は, 1970,80年ぐらいの全体主義が倒れて社会主義が揺らいでいるような時代です.
絶対的な独裁者である王がいて, それの直属の部下, 中級市民, 下層市民などがいる.

簡単なあらすじは, 王の標的があるカップルに向く.
カップルは喋る鳥の手を借りて, 危機を脱しようとするというお話です.
正直なところこれはめちゃくちゃ面白かったです.
ぜひいろんな人に観てほしい.
ここから先はネタバレも入るので, 観たい人は観てきてください.
本当にオススメです.

上のあらすじを聞いたところによると, じゃあカップルが主人公になったラブストーリー?
題名が王と鳥だから, その2人を守るために鳥が王と闘うのか?
全く違います.
この映画に主人公などはいません.
どこまでもリアルに社会を描写している作品です.
しかし時代は変わっても今観るべき価値の十分ある作品だと思います.
なぜなら社会を構成する人間の動き方はそれほど変わっていないからです.

王は全てをコントロールしたい人で, やりたいことをやる.
邪魔なものがいたら落とし穴に落として消せばいい.
別に現実の独裁者でなくても, 自分の意見を押し通したり, 都合の悪いことには目をつぶる人はいると思います.
王は作品の途中から入れ替わるのですが, この経緯も興味深いです.
王は画家に肖像画を描かせるのですが, 自分がコンプレックスを抱いている寄り目を描かれてしまいます.
当然その画家は消されます.
その後部屋に戻り, 自分が写った鏡を割り, 絵の寄り目を修正します.
夜になって, 自分の欲求が作り出したとも言える絵の中の王が動き出し, もとの王を落とし穴にいれて消します.
そして王は同じく絵から出て逃げていったカップルを追うのです.
ちなみに王が入れ替わったことには誰も気づきません.
落とし穴に落ちた人々がどうなったかもわかりません.
自分のことを一番見ているのは自分.
いきすぎた欲望は自らを滅ぼす.
圧倒的権力は取って代わられるリスクも大きい.
ここに関しては, より様々な意見が考えられそうです.

鳥は王に子供を殺されかけた恨みもあり, 王の顔を嘲るなどの行動をとっています.
鳥は空で羽ばたいて自由に飛べることから, 作中でカップル2人を導く行動的なキャラとして描かれたのだと思います.
鳥は語りかけます, "気をつけろ, この国は罠だらけだ. "
現実世界では, 罠にはまったことにすら気づけない場合もあるでしょう.
集団意思・圧倒的個への陶酔などに溺れないように気をつけなければなりません.

この2人というのは, 王から確保命令が出ているので, 社会的に非常に弱いマイノリティの立場にあると言うことができます.
王からの確保命令には懸賞金などもついているため, 中級市民などは盲目的に協力します.
これも現代をよく映していると思います.
そんな中で鳥は子供を青年に助けてもらった恩もあり, 2人をサポートするわけです.

この映画の面白い点として, 登場人物に固有名詞がなく, 普通名詞で呼ばれているというところがあります.
これは非常に抽象的なことを描いているということへの暗示でしょう.
また, 国の構図が王の間が最も高いところにあり, どんどん下へ下へ行くにしたがって, 身分が低くなっていくところも面白いです.
身分の上下を地形の高低で表しているわけですね.

2人は王の間からどんどん下にくだることになるわけです.
中級市民などは捕まえようと躍起になりますが, 最下層まで行くとそこの人々は何も知らないのです.
太陽も知らず, 鳥も知らない.
音楽を流して希望をなんとか繋いでいるが, 完全に廃れているような, そんな印象を受けました.

しかしそこに王の秘密兵器である巨大ロボが出てくる.
科学技術を結集した兵器の象徴でしょうか.
そこの人々はゴミのように投げ飛ばされていき, 2人と1匹は捕まってしまう.
娘は婚約のために王に連れていかれる.

残された青年と鳥は, ライオンと同じ檻に入れられてしまいますが, 鳥の詭弁によりライオンの標的を王に挿げ替えて, 檻を破り全員で王の元へ向かいます.
鳥はデマを以て民衆を扇動したのです.
カップルからすればヒーローかもしれませんが, 社会的に見ればどうなのでしょうか.
中級市民も最下層のもの達も, 結局は指導者にただ従うだけ.

その後巨大ロボットも操り全ては無に帰しました.
そこには塵芥以外何も残ってはいない.
登場人物がどうなったのかも示されない.
ただ巨大ロボが考える人のポーズをして佇む.
雛鳥を閉じ込めていた籠が崩壊.
おしまい.
この一旦全てがゼロになるというのは, 戦争の後のような状態に近いと思います.
終わりであり始まり.
この悲惨な状況に一種の清々しさを覚えたのは, 自分だけではないはずです.
体制の全崩壊に対してこのような気持ちを抱くということは, 少し怖いところもあります.
考えるポーズというのは, 答えなどは示されないが, ただ考えていくことの重要性を示唆しているのでしょうか.
現在を生きる自分に対しても深く刺さるということは, 人類は進歩していないということですから, 危機感を持つ必要があります.
多角的な視点を持った時に, 善でもなく悪でもないカオス系ですが, ゼロになる可能性が十分にあるということです.
ゼロになるのが良いのか悪いのか, どのような社会体制であるべきなのか, 我々は考え続けていく必要があります.



原作者 Paul Grimault からの引用
"私たちは私たちの最もしあわせな夢々に生命(いのち)を与えることができますが, その一方で, 私たちのもろもろの悪夢が現実にならないために, できる限りのことをしなければならないと思います.
私はいつも私たちの映画を見てくれるであろう人々に思いをはせます. 私たちが彼らに言おうとしたことのすべて, 私たちが種を播いたすべて, それらは映画が終わって灯りがともった時に, あとかたもなく消え去ってしまうものではありません. 一本のフィルムに終りはないのです. まさに観客の心のうちでこそ, それは歩み続け, 種がひとつでもあれば, その種が芽を出しはじめるのですから. "




単純にアニメーションを楽しみたい方のために, トムとジェリーを置いておきます.
子供の頃は気づきませんでしたが, いろいろリアルと矛盾を作って遊んでいるようなところもあったんですねw

https://sp.nicovideo.jp/watch/sm31370339?ss_id=86dc4eaf-d0f0-40d0-9d0b-84ca47c55616&ss_pos=1&&cp_in=wt_srch