不定形ゲーム 道楽ブログ

ゲーム中心でいろいろ好き勝手に(ゲームと関係ないこともたくさん書くということ)

風の谷のナウシカ

まじで今更ですが観ましたw
いやあの, 虫がずっと気持ち悪いなぁと思って観なかったんですよw

今日はその感想になります.

アニメーションは絵の連続によって成立しますが, 絵は故意にしか成り立ちません.
何が言いたいかというと, 背景の小さな雲や影やオブジェクトも全て描こうと思って描いているということです.

これは人間の視覚の働き方とは全く異なります.
人間は写っているものの中で何かしら注目する必要があります.
なので絵を描こうと思ったら, その点でも観察眼をすごく鍛える必要があります.

アニメーションはそれに動きが入ってくるので, 時間軸も取り入れなければなりません.

ジブリのキャラの走り方とか, 個人的にすごい好きです. 躍動感といいますか.
細かい部分までの描き込みもそうですが, 状況に応じた細かい色使いも素晴らしいです.

リアリティの追求が凄まじい.
自分も最近絵を練習していますが, 壊滅的ですねw
もう20年以上生きているのに, 人間すら満足に描けない…違和感にまみれていますw

この前スイスに行ったときに美術館に行きましたが, リアルよりもリアルな絵がたくさんありました…
もうそう表現するしかないほどの圧倒的密度.
写真では解像度が足りなくて意味が無いと思ったので撮ってません.
美術館に行ったことがないかたは是非.
モネとかものすごく感動しました.
アンディーウォーホールとかはよくわからんかったですw


本題のナウシカですが, すごく心に来ましたね.
彼女のパーソナリティに感銘を受けました.
社会的なとこに対する監督の観察眼も恐ろしいですね.

面白いと思ったところをpick upしていきますぅ.

実はナウシカは環境汚染の話だ, みたいなことを度々小耳に挟んでいたのですが, どうなんでしょうか.
まあ確かに環境汚染の話もあると思うのですが, ナウシカのキャラから言えば, 憎しみとの闘いや信じる心の大切さとかのほうに, より重点が置かれている気がしました.

あの世界は虫と人が完全に別れている世界で, ナウシカだけが虫に寄り添った生活をしていました.
そもそも毒の瘴気にまみれた場所に行こうとも思いませんし, 怒ったら手がつけられないような夥しい数の生物がいるとこになんて, 行こうとは思いませんよね.

なぜナウシカがそうなのかは回想シーンが少しありました.
オームの子供を大人たちから匿うシーンですね.
子供の頃から虫たちと触れ合っていたので, ナウシカにとってはそうゆうものだったのでしょう.

"何を怯えているの?"

作中で何度かナウシカが放ったセリフで, これはめちゃめちゃグサッときました.
みんな自分がすごく大事で, 不可解なものは遠ざけたいし, コントロール下に置きたい.
そのためには武力も行使しちゃう.
これはナウシカの敵ではない風の谷の民にも共通する部分で作品を通して描かれていたと思います.

冒頭のテトをユパから貰うシーンからそれは描かれており, ユパは凶暴だからとナウシカに危険を伝えるが, ナウシカはテトに好きに噛ませて, その結果ナウシカを信頼する.
これなんだよなぁ.
こうゆう壁を勇気を持って乗り越えないと, 我々には先がないんですよ.
G20もやってますが, 結局こういうことなのかなと.
まああれは少し違うかもしれませんが, 世界の歩み寄りとしてね.

こうゆうのはいろんな作品で描かれていると思います.
私の好きなNARUTOもそう.
いつかNARUTOについても書きたいです.

回想シーンはそのままラストシーンに繋がっていたと思います.
スケールがでかくなったバージョンみたいな.
テトの部分とも繋がってますね.
自分の命をも懸ける覚悟に度肝を抜かれました.
オームの大群に弾き飛ばされて, オームが正気に戻るという.
1匹の子供のオームを人の手から助けて, 和解をする.
それが全体に広がっていくという.

ナウシカという人は自分の理想そのものです.
本当に観てよかった.
精進します.




腐海やオームの解釈について.
環境問題というのは, まあストーリの流れ上そうなった, というものではないでしょうか.

腐海に関しても, 毒の瘴気は腐海のものではなく, 人によって汚染された大地のものであるとなっていました.
しかも腐海はそれをクリーンにするシステムであるという.
表面的にはそう見えたとしても, 深部まで行くと全く逆のものであるということがわかった.
ナウシカの涙が非常に印象的でした.
何かストーリーがあるものでは, 涙を流す人は多くいますが, 珍しいタイプの涙に感じました.

そして, オームら虫はそれらを守る役割をしていると.
表面的なところしか見えない"怯えている"人々は, 自分の身を守るのに必死で, 歩み寄って知ろうとすることをしません.
腐海を守る虫たちは敵にしか見えません.
自分たちの力ではどうしようもないから, ほかの圧倒的な力に頼るしかない.
今度は巨神兵を手に入れるための闘いが, 人のあいだで勃発する.
それに巻き込まれる人も出てくる.
"積荷を燃やして"とナウシカに頼んだペジテの王女.
彼女の最期を涙とともに看取ったのは, 自分と同じものを感じたからでしょう.
作品としても, その後にペジテの王女の近しい人とナウシカは仲良くなり, 彼らはナウシカに非常に協力的でした.
ナウシカが実際に服を交換して着るところなどは, 物質性による象徴であって, すごくよかったです.
それがストーリーとしてしっかり組み込まれて成り立ってんのがすごいんすよねぇ…ああ.

人が腐海を攻撃して, その報復としてオームが大群で押し寄せて, そこがまた腐海の苗床になるというのは, 憎しみの連鎖・広がりを連想させましたが, 大事なものを見ない人々に対する罰なのかもしれません.

結局ペジテの高官達も, それに囚われて争いに参加するわけです.
"私たちはトルキメニアとは違う!"そう言い張っていましたが, ナウシカサイドから言わせれば, 巨神兵を巡る争いに参加している時点でアウトなわけで.
しかもそれにオームを利用している.
ナウシカの怒りは風の谷の民を守りたいという想いから来るものもあるでしょうが, それ以上に世界全体への想いから来るものなのでしょう.

少し話が逸れますが, そのナウシカの想いを我々に伝えんとする声優の迫真っぷりもすごかったですね.
思わず気圧されました.
特に子供のオームが湖へ入ることを止めるときの叫び声は凄まじかった.

さて巨神兵ですが, これはどう解釈すればよいのでしょうか.
巨神兵が実際に動いてからですが, お前たちはこんな醜いもののために争っていたのだとか, こんなものに頼ってもどうせ仕方がないのだ, みたいなメッセージなのでしょうか.
巨神兵に関しては, 先述の人々がそれを巡って争うというところで十分に役目を果たしている気がしますが, なにかもっと意味があるのでしょうか.

作品の要旨としては, 結局表面的なことばかり見て怯えて争っているだけでは, 本当に大切なもの(ナウシカ)を失ってしまうぞ, という警告だったのでしょうか.



ナウシカは話としては完結しましたが, 世界としては未だに絶望的です.
オームと和解したからといって, 腐海の侵食が止まるわけではありません.
これから大切なものを知った人々は, どのように生きていくのでしょうか.
腐海の地下で暮らしていけるのでしょうか...




まだ一回しか観ていないので, 事実と違う部分もあるかもしれませんが, 別の面白い解釈をご存知の方がいらっしゃったら, ぜひ教えてください!

本当に書きたいように書いたので, 読みづらかったら申し訳ないですw

イカ, メッセージ性はあまり無いかもしれないが, 面白いと思ったとこ.



まず風の谷にトルキメニア軍が攻めてきて, ナウシカのお父さんがやられたシーンにおいて, ナウシカの心情(遷移)表現がすごかった.

まず現場を見て髪の毛がグワーッと浮くところ.
こうゆうのはアニメーションでしかできない, アンリールを以てリアルを表現するやつですよね.

その後ナウシカは立て続けに兵を殺してしまいますが, ユパに説得されて, 村全滅の道を避ける判断をしました.

その後, 長がやられたのを知って荒れる民を抑えて, 秘密の部屋のシーンになります.
ここまでのシーンで, 自分の父親が殺されたことによる憎しみと, 自分の父親が死んだ悲しみと, その憎しみに駆られてしまう恐さと, 殺してしまったことに対する罪悪感が描かれていました.
現実の複雑さが描かれていて, この秘密の部屋のシーンに至るまで少し違和感があったのですが, なるほどなぁと思いました.
フィクションというか商品は, エンターテイメント性を求めるために単純化されますからね.
ジブリは少し毛色が違うかなといった印象.
そこが評価されている点なのかもしれませんが.
次観る機会があれば, ここの色使いにも注目したいです.


もうひとつは, トルキメニア軍の二番手の男です.
良い表現が思いつきませぬw
この人はこのような組織における人物としてすごく象徴的でした.

トップの女性から意見を求められた時に, 自分の領分ではないと言ったり, 上から命じられたことをそのまま忠実に実行したり.
そしていざ上が消えれば(自分が上になれば), 好き勝手やる.
戻ってきたら, また言うことを聞く.
部下が命が惜しくなって逃げても, 命令を全うしようとする.

上と下がはっきりした組織の典型例て感じですよね.
現代でいうと, 軍事組織とか政府組織がこれにあたるのでしょうか.
信じる力にも多分に関わってきますが, 組織論の話はまた機会があれば.





自分もなにか作品を作りたいなぁ…
勉強して研究していろいろやりたいぃぃぃ!
で感じですわw

それではまたv

Animation - le Roi et l'Oiseau 「王と鳥」

どうも. 夜が寝苦しくなってきましたね.



本題に入る前に, 現在の記事の投稿予定に関してお伝えします.

実は少し前から都市化や社会性に関する記事を書きたくてふたつストックがあるのですが, 自分の知識が余りにも足らず書ききれておりません.
図書館に行っていろいろ調べながらやらなければならないので, もう少し後になるかと思います.
本当はそちらを投稿してから, それと少し絡めつつこの記事を投稿したかったのですが, 仕方がないので順序を逆にすることとします.
些か心苦しいですがw

それと, 最近は三島由紀夫という人物について調べており, 人生で初めて政治に関心を持ちました.
政治と言っても現行憲法の話なのですが, まあかなりの衝撃でして.
そちらも図書館に行って, 大日本帝国憲法のことなども調べた上で, ある程度自分の意見を固めてから記事を作っていきたいと思っています.

正直ここ数日は, 実は日本はかなりやばいんじゃないのか?という意識がすごく芽生えてきていて, 本当にがんばらなければいかんなぁという気持ちがあるんですよ.
自分は別に日本だからどう, とかそういったタイプではありませんが, 単純にひとつの国を良くすることが全体を良くすることに繋がると思うので.
要は変な方向に行ってほしくないんですよ.
まだ考えがまとまってないので, 何言ってるかわかりませんねww





はい, 前置きが長くなってしまいましたが, 本題に入っていきましょうか.

三島由紀夫の前は宮崎駿について調べていまして, まあそうゆうことです.

表題の「王と鳥」は, 宮崎駿が最も影響されたアニメのひとつであると言っていたので, 興味を持ち観ました.
それの感想とアニメについて話します.
そんなに深い話はできませんが.


まあまずアニメがAnimationから来ていることは明白ですよね. 輸入語です.
Anim というのは生命を表す言葉だそうで, 非常に良い言葉であるなぁと思います.
要は生命を形づくるもの, ということですね.

8月ぐらいに自分でもアニメを作ってみるつもりですが, どうやってウソをついてリアルを表現するか, というのが技術になってきます.

このウソをつけるというのがアニメの長所であると思っていて, つまり現実をそのまま描写しても仕方がないので, unrealを上手く取り入れて生命を表現したり, より抽象的な物事をより直接的に表現できるようになると考えています.
これが醍醐味なのではないかと.



王と鳥が制作された当時の世界は, 1970,80年ぐらいの全体主義が倒れて社会主義が揺らいでいるような時代です.
絶対的な独裁者である王がいて, それの直属の部下, 中級市民, 下層市民などがいる.

簡単なあらすじは, 王の標的があるカップルに向く.
カップルは喋る鳥の手を借りて, 危機を脱しようとするというお話です.
正直なところこれはめちゃくちゃ面白かったです.
ぜひいろんな人に観てほしい.
ここから先はネタバレも入るので, 観たい人は観てきてください.
本当にオススメです.

上のあらすじを聞いたところによると, じゃあカップルが主人公になったラブストーリー?
題名が王と鳥だから, その2人を守るために鳥が王と闘うのか?
全く違います.
この映画に主人公などはいません.
どこまでもリアルに社会を描写している作品です.
しかし時代は変わっても今観るべき価値の十分ある作品だと思います.
なぜなら社会を構成する人間の動き方はそれほど変わっていないからです.

王は全てをコントロールしたい人で, やりたいことをやる.
邪魔なものがいたら落とし穴に落として消せばいい.
別に現実の独裁者でなくても, 自分の意見を押し通したり, 都合の悪いことには目をつぶる人はいると思います.
王は作品の途中から入れ替わるのですが, この経緯も興味深いです.
王は画家に肖像画を描かせるのですが, 自分がコンプレックスを抱いている寄り目を描かれてしまいます.
当然その画家は消されます.
その後部屋に戻り, 自分が写った鏡を割り, 絵の寄り目を修正します.
夜になって, 自分の欲求が作り出したとも言える絵の中の王が動き出し, もとの王を落とし穴にいれて消します.
そして王は同じく絵から出て逃げていったカップルを追うのです.
ちなみに王が入れ替わったことには誰も気づきません.
落とし穴に落ちた人々がどうなったかもわかりません.
自分のことを一番見ているのは自分.
いきすぎた欲望は自らを滅ぼす.
圧倒的権力は取って代わられるリスクも大きい.
ここに関しては, より様々な意見が考えられそうです.

鳥は王に子供を殺されかけた恨みもあり, 王の顔を嘲るなどの行動をとっています.
鳥は空で羽ばたいて自由に飛べることから, 作中でカップル2人を導く行動的なキャラとして描かれたのだと思います.
鳥は語りかけます, "気をつけろ, この国は罠だらけだ. "
現実世界では, 罠にはまったことにすら気づけない場合もあるでしょう.
集団意思・圧倒的個への陶酔などに溺れないように気をつけなければなりません.

この2人というのは, 王から確保命令が出ているので, 社会的に非常に弱いマイノリティの立場にあると言うことができます.
王からの確保命令には懸賞金などもついているため, 中級市民などは盲目的に協力します.
これも現代をよく映していると思います.
そんな中で鳥は子供を青年に助けてもらった恩もあり, 2人をサポートするわけです.

この映画の面白い点として, 登場人物に固有名詞がなく, 普通名詞で呼ばれているというところがあります.
これは非常に抽象的なことを描いているということへの暗示でしょう.
また, 国の構図が王の間が最も高いところにあり, どんどん下へ下へ行くにしたがって, 身分が低くなっていくところも面白いです.
身分の上下を地形の高低で表しているわけですね.

2人は王の間からどんどん下にくだることになるわけです.
中級市民などは捕まえようと躍起になりますが, 最下層まで行くとそこの人々は何も知らないのです.
太陽も知らず, 鳥も知らない.
音楽を流して希望をなんとか繋いでいるが, 完全に廃れているような, そんな印象を受けました.

しかしそこに王の秘密兵器である巨大ロボが出てくる.
科学技術を結集した兵器の象徴でしょうか.
そこの人々はゴミのように投げ飛ばされていき, 2人と1匹は捕まってしまう.
娘は婚約のために王に連れていかれる.

残された青年と鳥は, ライオンと同じ檻に入れられてしまいますが, 鳥の詭弁によりライオンの標的を王に挿げ替えて, 檻を破り全員で王の元へ向かいます.
鳥はデマを以て民衆を扇動したのです.
カップルからすればヒーローかもしれませんが, 社会的に見ればどうなのでしょうか.
中級市民も最下層のもの達も, 結局は指導者にただ従うだけ.

その後巨大ロボットも操り全ては無に帰しました.
そこには塵芥以外何も残ってはいない.
登場人物がどうなったのかも示されない.
ただ巨大ロボが考える人のポーズをして佇む.
雛鳥を閉じ込めていた籠が崩壊.
おしまい.
この一旦全てがゼロになるというのは, 戦争の後のような状態に近いと思います.
終わりであり始まり.
この悲惨な状況に一種の清々しさを覚えたのは, 自分だけではないはずです.
体制の全崩壊に対してこのような気持ちを抱くということは, 少し怖いところもあります.
考えるポーズというのは, 答えなどは示されないが, ただ考えていくことの重要性を示唆しているのでしょうか.
現在を生きる自分に対しても深く刺さるということは, 人類は進歩していないということですから, 危機感を持つ必要があります.
多角的な視点を持った時に, 善でもなく悪でもないカオス系ですが, ゼロになる可能性が十分にあるということです.
ゼロになるのが良いのか悪いのか, どのような社会体制であるべきなのか, 我々は考え続けていく必要があります.



原作者 Paul Grimault からの引用
"私たちは私たちの最もしあわせな夢々に生命(いのち)を与えることができますが, その一方で, 私たちのもろもろの悪夢が現実にならないために, できる限りのことをしなければならないと思います.
私はいつも私たちの映画を見てくれるであろう人々に思いをはせます. 私たちが彼らに言おうとしたことのすべて, 私たちが種を播いたすべて, それらは映画が終わって灯りがともった時に, あとかたもなく消え去ってしまうものではありません. 一本のフィルムに終りはないのです. まさに観客の心のうちでこそ, それは歩み続け, 種がひとつでもあれば, その種が芽を出しはじめるのですから. "




単純にアニメーションを楽しみたい方のために, トムとジェリーを置いておきます.
子供の頃は気づきませんでしたが, いろいろリアルと矛盾を作って遊んでいるようなところもあったんですねw

https://sp.nicovideo.jp/watch/sm31370339?ss_id=86dc4eaf-d0f0-40d0-9d0b-84ca47c55616&ss_pos=1&&cp_in=wt_srch

ポケモン プラズマ団

http://pokemon-matome.net/articles/198709.html
この記事でポケモンBWに登場したプラズマ団という組織に関して, 誤解があるようなのでそこに触れたいです.
ただ, 開発者が明言している点ではないため, 個人的に誤りだと思う, ということです.

ポケモンシリーズはそのメッセージ性でも度々話題になってきましたが, BW(Black White)ではその名の通り, 人種が問題であります.

舞台の名前はイッシュ地方. 一種です.
ちなみに英語版ではunovaといいます.
これは造語で, uni(統合された)+nova(新しいもの)というような意味だと解釈できます.
つまり, いろいろ集まって新しい一つのものとなる, 種で分け隔てることなくひとつになろう, ということでしょうか.

BWはまずオープニングからして奇妙です.
というのも, 敵の組織であるプラズマ団に関する映像が流れるからです.
今までと大きく異なるので, かなり違和感を覚えましたね.

もう1つ奇妙な点として大きいのは, プラズマ団が単純な悪の組織ではないということです.
街頭演説などで, ポケモンは戦わせるのではなく保護するべきだと主張していました.
これが上で紹介した記事において, 誤解された点です.

なぜなら, もしただの愛護団体であるなら, プラズマ団を敵として置いて, それを倒すなんてストーリーにはなんの意味もなくなるからです.

プラズマ団は決定的な矛盾を抱えています.
プラズマ団の団員は普通にポケモンバトルを仕掛けてくるのです.
これってかなりおかしなことです.
自分たちが最も重きを置いて主張してることを自分たちは破っている. しかし他の人にはそれをやってはいけないと言っている.
つまり選民思想であり, ここが人種問題と繋がる部分です.

登場人物のゲーチスやNという青年の名前から, 実在する白人至上主義団体のKKKがモデルだとする説が強いです.

なので, プラズマ団を引き合いに出して愛護団体どうのこうの言うのは全くの的外れであると言えます.




関係ないですけど, 当時続編のBW2が出た時は, ネタ切れだのなんだの言われてすごく悔しかったのを覚えていますw
それほどタイトルが重要であり, 深いテーマを持ってるってことやろ!って喚いてましたねw


ポケモンも新作が発表されて, いろいろ話されてますので, またそれについての記事も上げたいです.
それではv

Splatoon2 開発(任天堂)に対する熱烈な批判

24時間一睡もせず研究をしていたら, 心の奥底にあった憤りが再び叫び始めました.

この前任天堂に対する批判を少し書いたので, それの続きということにします.
※一部の人にとっては不快に感じるような表現も含まれているかもしれません.
お詫び申し上げます.



以前書いた, 任天堂が人を見ずにお金やデータしか見ていないのは岩田さんを失ったところが大きい, ということについてですが, 確かにこれは大きいと思います.
しかし, それに加えて世代的なものもあるのではないでしょうか.
近代教育における偏差値偏重社会の影響です.
偏差値が高いということが一体何を意味しているのか.
言われたことを言われたとおりにやるってのは大きいと思います.
事実これは近代教育の目指すところの1つですよね.

Creativityを高める教育は無かったし, 議論を学ぶ場も無いし, 善し悪しを考える機会も与えられない.

もう1つ要因として挙げられるのは, 同じような人達が集まってしまったということ.
どれだけ社会的に優秀であると言われる人達であっても, 彼らが同じような考えで反対意見を提示してくれる人がいなければ, 良いものは生まれません. 世界的にも事例がありますよね.



イカの3つの任天堂製品について話しましょう.
①プロコン
スマブラ ultimate
Splatoon2

①プロコン
暫く前にAmazonレビューを見ましたが, なかなかひどい評価でしたね.
任天堂製品といえば, その頑丈さでも有名でした.
自分が小中高のときなんて, 周りの人達が持っている機器が壊れたなんてのは聞いたことがありません.
(他の人がどうだったかはわかりませんが…)

WiiU padも未だに全く問題ありません.
それが, プロコンは半年もせずに異常が出る. 友達にも異常な数の異常が出る. 新しいものを何個も何個も買っている人もいました.
修理に出せばお金を取られる.
遊んでたらなんか粉が出てくる.
あまりにも酷い.
そりゃコントローラーが無かったら遊べないですから買いますけど!
信頼を失った会社に未来があると思っているのか.
自分はとっくにプロコン壊れてますけど, 1万近くあんなものに払うのがアホらしいので, 壊れたまま遊んでます.
ちなみにjoyconはRボタンが反応しません.
自分で言うのもなんですが, 物はかなり大事に扱うほうなので, ゲーム機器が壊れるなんてことはこれまでありませんでした.
叩いたり投げたりなんてしませんからね(⌒,_ゝ⌒)

こうゆう製品の劣悪さを見ると, 本当に任天堂がどうしようもなく酷い環境にあるということが容易に想像できます.
コントローラーの修理に関する動画や記事へのアクセスが多いのは, 元任天堂支持者として最高に残念極まりないです.




スマブラ ultimate
こちらはあまり面白味を感じることができなかったため, これまでのシリーズ作品と比べるとほとんど全く遊んでいないと言ってもよいでしょう.
他の方の意見も聞いていませんし, 何が面白くないのかを提示していく, 完全に個人的な意見になります.

問題の核心はe-sportsへの意識です.
これが私が楽しんでいたゲームを台無しにしました.
まず各キャラの細かい仕様変更が多すぎて, プレイしていてイライラが募る.
別にそれだけなら慣れればいい話なんですが, 競技性を高めるためか, キャラの特性がこじんまりとまとまっているように感じられて, プレイしていて楽しくない.
家族や友人とパーティゲームみたいにわちゃわちゃ楽しみたかった自分としては, まるで別ゲーをやらせている感じで, 詐欺みたいに感じられました.

次にアイテムの出現頻度や個数制限です.
これがかなり厳しくて, わちゃわちゃ感がまるで消え失せました.
スマートボムを大量に投げまくる試合はよく家族友人とやっていました.
しかもアイテムを選択する画面遷移がかなりまどろっこしくなっており, 非常に手間がかかります.
これも大きなマイナスポイントです.

デザインを色々変えたり, ストーリーモードもあって, スピリットなどの新システムはめちゃめちゃ面白いのでそこは良いのですが, もっと一般ユーザーのことを想定してほしかった.
他の人の意見を見ていないので, 一般ユーザーと言ってはいけないかもしれませんが, ゲームは友達とかとわちゃわちゃやるのが一般的だと思っているので, そこの部分を圧倒的に損なっているのはいかがなものかと.
楽しいか楽しくないかが重要で, e-sports含めたコミュニティの発展は, ユーザーが自然的に自発的に行っていくことでしょう.
別にこのぐらい手を入れてきてもいいのですが, それならわちゃわちゃ遊びたい人用にカスタマイズができる設定もほしかったです.
なんかもーゲームがゲームじゃないというか, sportsの意味を吐き違えているというか.
モヤモヤします…

キャラに関しても, 弱いキャラというプリンやピチューであるからこそ生まれる感動もあると思いますし, あまりにも整った環境はつまらないし, 開発が操作している感まるだしの環境もつまらない.




Splatoon2
ゲーム性に関してはもうどうでもいいので言及しませんが, 開発はしっかり批判するべきだとずっと思っていました.

自分は発売から半年ちょっとぐらい, 固定を組んでいたので真剣に取り組んでいましたが, 開発のアプデの方向性に何度もうんざりしました.

その頃はやはり苦しかったので, 他の人がどう感じているかなども積極的に調べていました.
Twitterには, 自分本位な意見ばかりが目立ちました.
自分の持ち武器がどうこうみたいな, ゲームのことは割とどうでもよさそうな人達が多かったです.
Amazonレビューは建設的でしっかり分析をされているものもありましたが, 基本的にはゲーム性に関するもので, 開発の行動に対して何か唱えているというのは, 少なかったように記憶しています.

具体的に例を挙げていきましょう.

まずは傘へのバフの与え方です.
当時は自分はまだSplatoonを抜けきれていなくて, 武器は何か特定の役割を持っているとのだと思っていました.
なのでパラシェルターの存在も, ヘイト持ちや前線でのタンク・塗り支援を行う武器として, これは面白いなぁと感じていました.
しかし開発が行ったのは, 攻撃面での強化でした.
Splatoon2はシステム的に連携を強要してくる一方, 武器などは自分で何でもできる設計を目指しているようです.
発売当初からですが, 開発が明らかにゲームを理解していないということがまるわかりでした.
せめてやっちゃいけないことぐらいは避けてほしかったです.
しかも何度も…

その後もモデラーという, 塗りが一番の売りである武器から, その塗りを奪うということをやりやがりました.
これのさらに救えないところは, 批判の対象になったのが金モデというモデラーの中の一種に備わっているイカスフィアというスペシャルなのにも関わらず, 他のモデラー種も巻き込んでその武器の特色を消し去ったところです.
この時点で自分はこのゲームに対する全てを諦めました. ありえない.
しかしネットにはそのような必死さを帯びた声は見当たりません. なんで???
自分が好きだった名だたるプレイヤー達も, 特にtweetして何か言うでもなく, スーッといなくなってしまう人がほとんどでした.
その後も武器に関しては, その武器の色をどんどん消していくような姿勢が見受けられました.
どうやら性能を均質化させることがバランスを調整することであると思っていたみたいです.

次はハイプレへの調整です.
ハイプレやイカスフィアの調整が非常に難しいと散々言われていたにもかかわらず, しっかりと期待に答えてくれたことには, この際目を瞑りましょう.
当時ハイプレがリスポーンにおいてバリアに守られながら使えるということが問題視されて, 取られた措置です.
リスポーンでハイプレを撃とうとすると, リスポーンのバリアから押し出される!
画期的ですね.
どこまでも不自然極まりないです.
Splatoon2のイメージにも当てはまるところですが, ハリボテのツギハギのゲームって感じです.
そこまでするならいっそ削除してくれればいいのに.
ゲーム性に関しては触れないお約束でした.

Bバスホコ実装.
タッチダウンしやすいかどうかとかそういう話ではなく, ここで触れたいのはマップの視覚的デザインです.
Splatoonが大切にしてきた部分だったはずです.
確かにSplatoon2では, 世界観を反映しないような, よくわからないオブジェクトが散見されましたが, まさかここまでやってくるとは思いませんでした.
必殺技をくらった気分です.
Bバスパークだなどと宣ってはいるが, もう世界観も何も無い.
マップの構造だけを示すモデルのようです.
なんでこんなのにgo signが出たんや…
現場は一体どうなってるんや…
なんで誰も止めへんかったんや…
あんなの一目見てダメだとわかるでしょう.
本当にSplatoon2の開発には驚かされるばかりです.

余談ですが, 実装当時に自分のtweetしたこれの動画がバズって, 何百という無作為な人のアカウントを覗く機会ができました.
せっかくなので全部軽く目を通しました. (暇の権化)
本当にいろんな人がいて, みんながんばって生きてるんやなぁと感じました.
みんなで熱く楽しめたらいいのになーって思いましたし, 不快なプレイはするべきではないなと思いましたね.

戻ります.
マニューバの当たり判定がアプデ後にめちゃめちゃ大きくなっていた事件です.
ここから見えてくるコード管理の雑さ.
普通ならありえない事態です.

1月ぐらいのアプデを境にこのゲームを離れましたが, その後もいろいろやってましたね.
自分はずっとバカにされているとまで感じるほどだったのですが, 人によって感じ方が違うのは本当に不思議ですね.

細かいところを拾ったらキリがありませんが, もう疲れてきたのでここらへんでやめます.

全体に言えることですが, ゲーム理解度の低さ・テストプレイしない・管理体制が整っていない・制作物に対して意見を言える場が整っていない(そもそも意見がないのかもしれない)

もちろんいいなと思う変更点もありましたが, ベースがこんな感じなので, もはや何も言えません.






Splatoonの権利っていくらあれば買えるのでしょうか?
任天堂に未来を感じないし, もうサヨナラなんですかね.
みなさんはどう感じますか?

(2019/6/20 追記)
感情に任せて書くのはよくないですね.
事実このゲームを遊ぶまで, Splatoonがとてつもなく緻密な構造の上に成り立っているということを知りませんでした.

前作へのカウンターというチャレンジ精神もそこはよかったと思います.

ただ最低限自分たちでちゃんと遊ぶような開発がよかったなぁ…
そうゆう基本的な部分はさすがにほしかったですね.

実sportsと対比したe-sports 健全な成長の果てに

一応言っておくと, 実sportsというのは実際に体を動かしてやるsportsのことです.
ここではe-sportsと対比してp-sportsとでも言いましょうか. (physicalのp)



e-sportsがsportsであるためには, 練習が重要であるということを前回の最後に述べました.
では具体的にpとeで何が違うのか, 我々はその違いをどう受け止めどうコミットしていくべきなのか, 論じていきましょう.

・pと比べたeの良さ
身体性が介在しない.
これは非常に大きい. 年月が経つのを待たずとも, fairな勝負ができる.
p-sportsでは実体を使うので, どうしても大人と子供の能力には差が出てきます.
そこで個人差は考えずに, 年齢という大まかな基準で戦場を分割して, 平等を装う.
しかしe-sportsでは, プレイヤーの年齢が若くても, 公の活躍の場が十分にあるということです.
こうゆうのは仕事に対する固定観念へのブレイクスルーにも成り得るでしょう.
(海外渡航や顔出しなどは, 一定のリスクがありますし保護者の許可などもいるでしょうから, 最低限の年齢制限は仕方ないと思います.
ここらへんの法律とかは全くわかりません. )

むしろ, 中高生ぐらいの年代の人のほうが強いということも往々にしてあると思います.
どんなゲームにしろ反射神経は必要になってきますし, 自分のイメージをゲーム空間で実現させる精度は若い人のほうが優れていると感じます.
(なぜそうなのか知っている方がいれば教えてください. )

そこを戦略・大局観・経験などで, どう年長者が対抗していくのか, 上回っていくのかを観るのはかなり熱いと思います.

この前ゲームの甲子園をやるというニュースを見たのですが, この点から考えると, e-sportsの甲子園に意味はあるのでしょうか.
高校生だけ隔離して大会をやる意味は, p-sportsほど無いと感じます.
高校生でも大人より強いプレイヤーはいくらだっていますからね.
身体性が介在しないと, 高校生で一番というものを決める意味が薄れてくる.
Japanはこーしえんがスキだねーhaha



・pと比べたeの問題点
正直ここに関しては自分の中でもあまりまとまっていません. 現在の書けるだけを書いていきます.

基本的には, 今述べた若さというのがネックになってきます.
小中高に属しており, かつある種のsportsで世界的にトッププレイヤーである人って, 学校に行く時間取れるのでしょうか.
単純にトレーニングする時間って, 毎日かなり取らないといけませんし, トッププレイヤーであるからこそ舞い込んでくる仕事も多々あるはずです.
世界的なタイトルにもなってくると, うまい人はゴロゴロいて, その中で安定して実績を出すというのは半端じゃありません.
身体性があるならこれまで通り分割してしまえば, 割と公平に抑えられそうですが, 高校生とかのプレイングのほうが超!エキサイティンッッッ!!ってなってしまうと, それが最高価値ということになりますから, 人はそっちに寄っていきますし, 必然的にそのような高校生に場が与えられることになります.

学校に行かずともずっと問題なく暮らせるのであればいいのですが, 一般にゲームプレイヤーの寿命はp-sportsのプレイヤーよりも短いと言われています.
それは反射神経などの若さが大切な部分が多くを占めるというのと, 長時間画面を見続けたり同じ姿勢でいたりすることで来る体への負担があると思います.

昔々は人間も運動しまくって狩猟採集していましたから, 過度な運動のほうがまだ自然なのでしょう.

プレイヤーとして生存できなくなったあとは, 後進育成やコミュニティの活性化に寄与することなどが思い浮かびますが, 正直これは難しい問題だと考えています.
なぜなら学校は社会性を育む場であり, 学校に行けなかった社会性が欠如している人間が, 人材育成や人間集合(コミュニティ)の育成に適切に尽力できるかというと甚だ疑わしいからです.

棋士藤井聡太さんなどは, 学校を時折休んでいるなどと聞いたことがありますが, どんな感じだったのか詳しく聞いてみたいですね.

自分の今の見解では, インターネットだけでは社会性を代替できないと考えているので, プレイヤーは積極的にオフラインの活動を行うべきだと考えています.
そこにゲームを運営している人達や, ファンの人たちやアンチの人たちも来れば, より社会というものを感じることができると思いますし, 社会における自分の立ち位置も見えてくると思います.

自分は有名人などではないのでわかりませんが, 有名になるということは大きな怖さもはらんでいると思います.
詳しくはまた機会があれば.

日本とかがやりそうで間違っているのが, e-sports学校みたいなのを創っちゃうことです.
基礎的な勉強は効率よく修められるにしても, diversityが著しく低いですから, そんな場では社会性が育まれません.
結局自分と同じような特徴量を持つ人間としか接しないのは非常に危ないです.

やはり最終的には多種多様な人が集まって個人最適化した教育をできるような機関が必要だということです.
そこの生徒の1人として, e-sports選手用のプログラムで在籍すればいい.
こうゆう分野の最先端って今どんな感じなんでしょうかね.
計算機の発達が重要なのは間違いないんですが, また気が向いた時にでも調べるかな〜…

システム作るのもそれはそれでけっこう危ないですからねw
特に子供の年代の社会経験ってめっちゃくちゃくちゃくちゃ重要だと思ってるので, 多様性を受け入れて柔軟に生きていけるようになってほしいなぁ…そんな子が増えたらいいなぁ…って思ってますね. (誰目線)

とまぁ最後は結局教育の話になってしまいましたが, 今回はこんな感じで終わりますかね.
よければ意見ください!気軽に!

では〜v

仕事とかいうくだらない概念

ゲーム関係なくね?
最終的にそっち繋げるんでご心配なく.



何が言いたいかと言うと, 物質ばっか見て人を見ないのはやめてほしい, ということです.

経済学・心理学とかで人の心の動きを把握するのも, 最終的には物質を見据えた行為.

別にいいんですけどね, 商売するなら当たり前な部分ありますし.
生存しなきゃいけんから, ある程度は仕方ない部分もありますよ.

ただもうちょっと世の中があったかくなったらいーのになーって…

事実社会的にけっこう病んでる人多いし.
仕事なんのためにするのかってのはけっこう重要なんちゃいますの.

そもそも学校入ったらいきなり, "将来の夢(職業)はなんですか?"やからなぁ…
はなから働くとは何かということを全く教えないor考えさせようとしない社会.
このよくある質問のばかばかしさに関してはまた今度触れるということで.

お金がなんのためにあるのかも, むしろ間違った方向に行っているとさえ言える.



まあでも, だんだん人々の意識も時代とともに変わってきてますからね.

物質的なことしか見てない組織は短命になりますよ.
単純な利潤追求しかできない組織に未来はない.

例えば, 今はけっこう環境問題うるさく言われてるので(真偽はともかく), 明らかに環境に悪いことやってる会社の製品は買う人減りますし, その逆も然り.

環境のことやカスタマーのこともっと考えて, どうしてあげたらいいのかな〜って…
だって突き詰めたらそこには人がいますし, そうゆうとこにこそ本当の価値が生まれますからね.
考えたら至極真っ当なことだと思います.
著しく健康を損なう食品なども蔓延っていますが, 早く消えればいいのに. (憤怒)

つまり, 経済学の入りの部分とかは, 普通に初等教育で実践形式でやったほうがいいと思いますね.
別に働かんでも生きていけるし, なんも知らん子供をいきなり洗脳的に社会に組み込もうとするのは忌むべき行為ってことを自覚したほうがいい.
もっと自由だし, 自由の辛さも知った上で選択するべき.
自由の辛さって責任のことではないですからね.
あれはただの社会圧力だと思ってる.
脱線してきたから戻そうw



ということで, 本日はゲーム会社に対してですね.

自分の最初のエントリー見てもらえればわかると思いますが, 任天堂kidsでした.
なので, 任天堂について少し書きますかね.

岩田さん亡き後の任天堂は目に余るものがあります.
社員さんの声を友人を伝って聞きましたが, 雰囲気などはかなり変わっているらしいです.

話を聞かずとも, 正直任天堂製品のクォリティを見れば, 内部環境が酷いことになってるのは明らかですが…

なんでみんなプロコン何個も買い続けるのだろうか…ってずっと思ってました.
しかも修理でもお金取ることあるらしいし…
以前の任天堂はどこに行ってしまったんでしょうか.
岩田さんの後を継いでくれる方がいなかったのは, 本当に残念なことですね.

いわゆるビジネスに注力してしまって, エンターテイメントを感じません.



次はOpenrec.
配信サイトとして活用されていますが, ものすごく歪に感じます.
Twitchでよくないですか?
オプレを使う意味がわからないので, そこの理由をご存知の方がいれば, ぜひ教えて頂きたいです.
おそらくマネーがたくさんもらえるとかでしょうが…

特に気に入らないのは, 動画の占有ですね.
アーカイブはアカウント持ってる人が1日に2個見れるという仕様.
アーカイブ見たけりゃプレミアム会員になれって言ってきます.
1日に2個って, 内容どんなんかもわからんし, 10分の動画ですらカウントされるし, ものすごく使い勝手が悪い.
人気のない動画は消されますし.
コンテンツの扱いが雑だと感じます.

日本人のガラパゴス的な性質を上手く利用していますよね.
Twitchのほうが世界的に利用されているし, コミュニティの活性化には絶対そっちのがいいと思うんですけどね.

オプレはお金払わないと配信できないので, 自分はやめたんですよ.
やってない人にはわからない, 何かがあるのかもしれませんね.
他のユーザーの方は特に何も感じていないのでしょうか.
いったいどのへんがopenなのか. ものすごく閉じたプラットフォームですよねw

まぁ任天堂とオプレは絡んでるのもあって, 根強いですよね.



次はsegaですが, ここまで来たらe-sportsのことも話しますか.

segaで有名なのはMagical Stone事件ですね.
事件って言っていいのかはわかりませんがw
ぷよぷよの通ルールでオンライン対戦を実装してほしいとの声が散々上がっていたけど, segaは一向にしないからプレイヤー達が類似のゲームMagical Stoneを作りました. その時頼った会社がやらかしてたから, 全部おじゃんになってしまったというお話.
詳しくはググッたら出てくると思います.

公式には自分たちの作ったゲームをもっと愛してほしい. プレイヤーの熱量についてこれてない作品も多いのではないでしょうか.
そして結局コンテンツがダメになる. 誰も得しない.

e-sportsの話で言うと, jesuとかいう組織が発足して指定のゲームタイトルに対してプロライセンスを発行しています.
プロライセンスを取得したプレイヤーは, jesu主催の賞金付き大会に出場できる.

問題はゲームタイトル. 課金ゲーとか普通に入ってるのはどうゆうことなんでしょうか.
一般に海外でsportsとして受け入れられているものはほとんどなかったと記憶しています.
これも結局はお金が儲かりそうだから, という魂胆なのでしょう.
極めて不自然です. 価値があるから, そこに投資する. そしてコミュニティが活性化して, お金もよく回る. これが自然な流れでしょう.
なにがsportsなのか, ということを全く理解していない厳然たる証拠.
というより, 流れが不自然であるが故に, sportsでもないものが生まれると言ったほうががいいのかもしれない.

自分の親ぐらいの世代は個人差こそあれ, ゲームに対しては否定的な立ち位置の人が多かったですからね.
そもそもお遊びぐらいの感覚の人が多いのかもしれません.
そこらへんの凝り固まった考えから抜け出せないのも日本人らしい.

ぷよも公式大会が開かれますが, いろいろと不思議な部分があります.

まず大会が2先の2先であるということ.
これって極論100先やって, 2-100になるような相手にでも可能性はあるってことですからね.
相当な実力差がないと安定して勝つのは難しいです.

さらに恐ろしいのは, この方式で上位に入った人がプロになれるということ.
こんなんでいいのか…こんな決め方でいいのか…
ほんとにプロ(笑)って言われても仕方ないんじゃないですかね.
ぷよぷよで格付けをするってなったら, 最低でも30先はやります. 50でも差が出ないことすらあります.
昔の統一王座決定戦とかは100やってましたね.
そうゆう長い本数をやることで, 流れやら戦略やらも生まれてきて, 熱く熱くなってきます.
1本1本を互いに物凄い集中力で取り合っていくところにドラマが生まれます.
2先の2先はランダム性が強すぎて, 盛り上がりに欠けます.
少なくとも10ぐらいはやってほしい…
結局非公式でやってる大会の方が, ずっとずっと盛り上がるんですよ.
じゃあもう仕事なんてくだらない概念なくしたほうがいい…って結論に至りませんか?(笑)
非公式にばっこりお金が集まるようにすればいい.
公式もそれを奨励したほうがいい.
なぜならそれがsportsだから.

もう少しぷよについて.

ぷよの大会は情報まじで掴みづらい.
ぷよぷよキャンプとかいうサイトにまとめている体ではいるが, ほしい情報がないことが多い.
盛り上げる気あるのか, と思う.

この前も大会はあったけど, 配信がなかった.
なんやそれぇ…
かなり遅れて録画がupされたが, 決勝とかの順番ぐちゃぐちゃ…
やる気ないやろあんたらw
いやまじでさぁ…

ただ, やる気のない人が0であればこの流れは生まれないと思うので, 本気で良くしていきたいと思っている人もなかにはいるはずです. (期待)
特に現場なんかでプレイヤーの熱を直に感じることができる人は, 感化されるのではないでしょうか.

従来の組織構造だと, 上の意思決定権が強すぎてどうにもならないでしょうね.
情熱を持って組織改革をやるか, スタートアップするしかない!
おれやろうかなw
やっぱおれがやる!って意識は大事ですよね.
真剣に考えます.

ぷよ少しって言いましたが, もうちょっと書きます. すいませんw
プレイヤーに関してです.
これはゲームの本質的な話になりますが, 初心者から上級者まで楽しめるか, というのは非常に重要になってきます.
なぜなら, 初心者の流入はコミュニティの活性剤であり, かつ未来に関わってきます.
上級者はsportsの第一線を担う人達なので, 深いゲームの理解度と高度なプレイングで魅せなければなりません.
問題は, 上級者になるにつれてゲームの内容が大なり小なり変わってくることです.
スマブラなんかも, ガチで対戦環境にいる人はすごい動きします.
Fortniteもレベルが高くなると, 終盤にしか戦闘が起こらず, しかも要塞だらけです.
そしてこうゆうのが, やる側見る側双方にとってexcitingな必要がある.
見る側に関してもっと突っ込むと, 初心者流入のためには初心者が見ても感動できる部分が必要です.
"あ〜おれもこんなことして〜"この気持ちが芽生えるかどうかが大事になってきます.
上級者はおそらく初心者とは視点が異なってくると思いますが, それでも人材流出を防ぎ永続的にコミュニティを発展させるためには, 感動できることが重要です. そしてこれを担保するのはゲーム性の奥深さです.
浅いゲームに未来はない.

これをぷよに当てはめます.
ぷよはパズルゲームですが, 対戦環境になると必然的に敵の手を潰す短い攻撃が行われるようになりますし, それへの対応や火力効率も求められます.

ぷよで最大火力を出すのは数学的にも難しいことが証明されていたはずです. (NP困難?)
つまり, 人間的に難しいということ.
となってくると, どれだけ脳のリソースを節約できるかということになってくる.
それで近年の対戦環境の主流となっているのが, 最初の数手の置き方をGTRというものに寄せるということ.
ぷよって落ちてくるので, 最初に下の方に置いたものが, 後で上に置くものに対する制約になるんですね.
なので, 下をだいたい固定することによって, その後の自分の手や試合の展開に毎回同じような期待をすることができます.
事実, 毎回違う土台を組むより, GTRとかで統一してしまったほうがはるかにやりやすいです.
まぁGTRの形の作り方とか, そのあとの戦い方とかはかなり違いがあるので, そこを楽しむ感じですね.
(※厳密にはGTRは土台ではなく, 折り返しの呼称です.)

しかし毎回違う土台を組んだり, 先述した人間的に難しいことを普通にやってくる人達がいます.
popo, まはーら, いっちーなど. (自分が思いつく範囲)
本当はこうゆう人達にもっと出てきてもらえれば, 爆発的に盛り上がるのですが, 難しいようですね.
彼らが出てきた時は毎回ものすごい盛り上がるのですが, なにせ信じられないようなことをやるものですから, 化け物・気持ち悪い・怖い, みたいなコメントも珍しくありません.
こんなん書かれたら誰だっていやになりますよね.
人の意見気にすることないって言われても, さすがに…
しかし, 公式なんかは特にこうゆうような人たちを死に物狂いで表舞台に呼ばなきゃならないと思うんですよ.
だって本当に人間として信じられないことをやってますから, まさにsportsじゃないですか.
歯痒いです. 本当に.
なにがすごいのかとかは, また別記事で.

ぷよに関してはコミュニティの年齢も高く, ローカルにも分布しているので, ほかの若いゲームと比べればずっと心強いと思います.
Splatoonの歴史を前回のエントリーでさくっとやりましたが, ぷよは年数でいえばもっとずっと長いですからねw



そろそろ次の話行きましょう.
芸能人とか有名な人達がゲームをするという某番組についてです.

Youtubeなんかにも動画がアップされていますし, 積極的な姿勢は素晴らしいです.
あの年齢層の人達がゲームを楽しんでいるのをテレビというマスメディアで放映するってところもいいと思います.

ただ, それでe-sportsとか言ってるのは違う.
やっぱりあんたらにとってはゲームは遊びの道具でしかなくて, sportsとは程遠いんやなぁって思う.
e-sports誤解されるだけやから, やめてほしいです.

だってsportsって練習ありきでしょう.
そしてその練習は何かヴィジョンがあってするものです.
本番では, そのヴィジョンを実現できるかどうか挑戦する場で, そこに熱さがあります.

いわゆる有名な人達は練習する時間取りにくいと思いますが, そこに対する熱量ってのがそもそも番組見てて感じられなかった.
知ってるおじさん達がただわちゃわちゃ下手なゲームプレイしてるだけで, sports要素は皆無に見えました.
sportsバカにするなよ.
って思った.

数回しか見てないので, ずれてるところあったら申し訳ないです.

要するに, sportsとは何かってことと, それに情熱持って打ち込んでる人達は一体何が良くてやっているのか, ということをもっと理解した上でコンテンツを作るべき.

本エントリーの題もそうですが, もっと本質を見ていきたい.
仕事だなんだ言って, 真に大切に存在している人を見ないことは, 合理的な面からも否定されてきている.
それはe-sportsの世界でも同じである.
せっかくの芽を潰されたくない.

長くなってきたので, ここらで一旦区切ります.
意見ください!

次回はこれの続きとして, 実sportsと比べたe-sportsについて語っていきましょう.

それでは〜v